アズマイチゲの想い出。

アズマイチゲ414アズマイチゲ417

数年前、鳴神山を歩き始めた頃のことである。
その当時の私は出会う花全てが新鮮で、毎回驚きと喜びに満ち溢れていた。
当時の鳴神山は私にとってはワンダーランドだった。

その頃、よく遭遇する人がいた。
わいさんと称することにする。
花が大好きで春の時期にだけ足繁く鳴神山に通っていた人だ。
わいさんの花の造詣は深く、当時の私にとっては一番の花仙人だった。
しかし花好き、写真好きの人に多いことだがわいさんもかなりの偏屈かつ狭量な人だった。
「(あまり稀少性がない)〇〇の花なら教えてあげるよ。
実はものすごく稀少価値のある花を見つけたが、それは教えてあげないさ」
こんな感じの人だった。正直苦手だった。

当時の私はほとんど花の知識もなく、出会う花ごとに尋ねていたタイプだった。
自分でろくに調べもしない、新参者の私が気に入らないというのもあったのだろう。

沢沿いに白くて大ぶりの花がぽつんと咲いていた。
この花は何かと尋ねるとアズマイチゲだと教えてくれた。
そんなに稀少性がない花だから教えてくれた。

そういえば別の場所でイチゲの大群落を見たことがある。
その花が鳴神山にもあるのかと私は嬉しくなった。
そして私の大のお気に入りの花となった。

春になると、私はアズマイチゲを探して歩くようになった。
今年は〇輪、去年は〇輪、開花に辿り着いたのが〇輪、
鳴神山もアズマイチゲが増えたな減ったなと一喜一憂しながら。

我ながら自分の執念深さに驚くが、あるときふと気づいた。
私はアズマイチゲを探しながらわいさんの面影を探しているのではないか。
いなくなったわいさんの面影を求めて。
当時教えてもらった新鮮な驚きを再確認したくて。
わいさんに、こんなに花を探せるようになったんだよと伝えたくて。

私の花追いのスタイルは少なからずわいさんの影響を受けている。
そして、偏屈で狭量な、花好きの精神をも引き継いでしまったようだ。
何年か山を歩いて、私は気づいてしまったのだ。
偏屈で狭量でないと守れないものがある。山に咲く花はその最たるものであるということを。

アズマイチゲを見るといつも爽やかな思いとほろ苦い思いにおそわれる。
だからこそ、私にとっては大好きな花の一つなのだ。

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プロフィール

鳴神山愛する会

Author:鳴神山愛する会
ようこそ鳴神山へ!
主に季節の見どころ(花メイン)と登山道整備の記録を綴っています。
なにぶん素人ゆえ、花の同定には間違いが多いですがご了承下さい。
行政でもなく、営利目的でもなく、ひたすらに山を愛する山男達の登山道整備を記録しています。
何気なく歩いている山にどれだけ多くの手、愛情が加えられているかを
是非知っていただきたいと思っています。

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