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______山の笑顔を摘みに


初めて訪れた6月の鳴神山にはこれといった花もなく、そして人もいなく、足がすくんでしまうほど静まりかえっていた。それでも森の中を歩いているような雰囲気に惹かれた私は足繁く通った。いつも上を見て歩いていたと思う。山頂だけ、ゴールだけを考えながら漠然と視界に入ってくる緑の天井を眺めて歩いていた記憶がある。

 

7月も中頃を過ぎた頃、いつものようにぜいぜい言いながら肩の広場につくと、鳥居の下に咲いている銀色の花が目にとまった。白い花なのだろうが、緑の山道に洗われた私の眼にはその花は光沢のある真珠のような色に見えた。くたくただった私の体に一滴の清涼剤が垂らされたような気がした。オオバギボシを映した目はみるみる輝き、どこにも残っていないと思われた気力が体に満ちてきた。しばらくの間、オオバギボシに会いに行くのが楽しみになった。

それまで上ばかりを見ていた私は足元の山道をも見るようになった。夏の低山にはそれほど多くの花はない。その分、一つの花に出会えたときの喜びや思い入れは大きかった。


7月も残り僅かとなった頃、放射状に広がった大きな葉の間から緑色の細長いうなじを伸ばしている株が目立ってきた。細いうなじの先が小さく裂け、緑がかった白いくちばしが半開きになった。姥百合。長旅に疲れた白鳥が森に紛れ込んで溜息をついているような佇まい。名前よりずっと気品があり、見る者の足を止めてしまうほどの存在感がある。この頃は白鳥のご機嫌伺いが日課になった。



中腹を過ぎた辺りに大きな岩が見えてくる。盛夏には右手にイワタバコが、左手にイワギボシが咲き誇る。大きな岩は人の手が加えられた花壇のようだ。金属の光沢のある紫色のイワタバコと、薄紫の真珠のようなイワギボシ。鳴神山のイワタバコは新・花の百名山に数えられるほど有名だが、私はイワギボシの方が好きだった。夜半の間に蓄えた月光を日中放出しているかのような花びら。アブやハチと共に私はイワギボシの前からなかなか動くことが出来なかった。



気がつけば花目当ての山歩きとなっていた。山は見る者の数だけ貌があり、歩き方がある。優しくもあり、険しくもあり、挑戦の場であり、癒しの場である。しかし、花は誰にとっても山の笑顔ではないだろうか。見る者の心を和ませ頬を緩ませてくれる花。出来るだけ多くの笑顔に出会いたい、気づきたい、微笑み返したい。いつしかそう考えるようになった。



夏が過ぎてしまえば花の姿はほとんど見られなくなる。秋、冬が過ぎ、待ち焦がれた春がやってきた。人と花の笑顔で溢れ返った春の鳴神山は連日花祭りのような賑わいぶりだった。6月に入り、山は再び静寂を取り戻した。私は相変わらず下ばかりを見て歩いている。艶やかな春ほどではないが、夏にも花達はささやかにひかえめに微笑んでいるのだ。岩の舞台で果てるまで舞い続けるユキノシタ。初春のアカヤシオに対抗しうるほど、林床を埋め尽くした梅雨のシロヤシオ、コアジサイ。夜空に帰り損ねた森の星畑、ヒメレンゲ。どの花もいい笑顔だ。腰をかがめて花に手を伸ばした。また来るからねと声をかけ、可憐な笑顔に私は微笑み返した。





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プロフィール

鳴神山愛する会

Author:鳴神山愛する会
ようこそ鳴神山へ!
主に季節の見どころ(花メイン)と登山道整備の記録を綴っています。
なにぶん素人ゆえ、花の同定には間違いが多いですがご了承下さい。
行政でもなく、営利目的でもなく、ひたすらに山を愛する山男達の登山道整備を記録しています。
何気なく歩いている山にどれだけ多くの手、愛情が加えられているかを
是非知っていただきたいと思っています。

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