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______光の子


鳴神山通信

 

 風がひと撫でするだけで、秋の葉っぱはたやすく落下してゆく。干からびた橙色の葉っぱは軽く、乱暴に扱えばすぐに粉々になってしまいそうだ。

紅(黄)葉とは葉っぱの最期のことだろうか。艶やかながらも生命の最期の輝きを放とうとしているかの紅(黄)葉を見ていると淋しさと侘しさでいたたまれなくなる。慎重につまんだ葉を日にかざしてみた。眩い光に呼応するかのように秋の葉っぱがきらきらと輝いている。秋の葉っぱは日の影というよりも日そのもののように思えた。そのとき私は自分の思い違いに気づいたのだった。





 春は1年を通して最も多くの生命が生まれる季節だ。山も然り、沢山の生命が息吹を上げる。

たとえば木。木の胎内に眠っていた水が暖かな日差しによって再び身体中に巡り始める。木のてっぺんの一番明るいところの枝の先端に辿り着いた水は光に恋い焦がれ、そして光は水の想いに応える。木の至る所で水と光は恋に落ち、その愛の結晶として葉っぱが生まれるのだ。

春夏を通じて水は絶えず母体から支給される。その豊潤な水によって葉っぱは初々しい新緑から深緑へと緑を育んでゆく。そして来年への身支度を始めるという母体からの指令が届いたとき水の支給は途絶え、そのとき緑の生成も終わるのだろう。

母体にはりめぐらされた水が引き潮のようにひき、地中の胎内へと還るとき、葉っぱから水の象徴であった緑は退いてゆく。そして水が退いたとき、光だけが残るのだ。金、橙、紅 といった錦色は光の子である証なのだろう。





紅(黄)葉は葉っぱの歌だ。水の子に圧倒されてくすぶっていた光の子が我は光の子なりと誇らしげに謳っているのだ。私は目をすまして葉っぱの合唱を聴き入った。静寂で躍然たる生命の鼓舞が聴こえてきた。










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プロフィール

鳴神山愛する会

Author:鳴神山愛する会
ようこそ鳴神山へ!
主に季節の見どころ(花メイン)と登山道整備の記録を綴っています。
なにぶん素人ゆえ、花の同定には間違いが多いですがご了承下さい。
行政でもなく、営利目的でもなく、ひたすらに山を愛する山男達の登山道整備を記録しています。
何気なく歩いている山にどれだけ多くの手、愛情が加えられているかを
是非知っていただきたいと思っています。

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